東京高等裁判所 平成4年(行コ)30号 判決 1994年2月23日
控訴人
地方公務員災害補償基金静岡県支部長
石川嘉延
右訴訟代理人弁護士
橋本勇
同
向坂達也
被控訴人
酒井さだ子
右訴訟代理人弁護士
武子暠文
同
小川正
同
白井孝一
同
増本雅敏
主文
一 本件控訴を棄却する。
二 控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴人
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人の請求を棄却する。
3 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
二 被控訴人
本件控訴を棄却する。
第二 当事者の主張
一 請求の原因
1 被控訴人は、訴外酒井信一(大正四年五月一七日生。以下「酒井」という。)の妻である。
2 酒井は、昭和三六年四月六日、静岡県浜松市に採用され、同市清掃部北清掃事業所に清掃業務員として勤務し、ごみ収集業務に従事していたが、昭和五二年六月二五日午前八時五五分ころ、同市和合町二二〇番地の九二二先において業務中に倒れ、救急車により同市初生町一一三七番地二所在の八木病院に収容されたが、同日午前九時三五分に死亡した(以下「本件死亡」という。)。同病院の八木久男医師によって酒井の死因は脳卒中であると診断された。
3 被控訴人は、昭和五四年三月二九日、控訴人に対し、酒井の死亡が公務に起因して発生したものであるとして、地方公務員災害補償法四五条に基づき公務災害の認定を請求したが、控訴人は、昭和五五年三月二四日付けで、本件死亡は公務外の災害であると決定した(以下「本件処分」という。)。
被控訴人は、本件処分を不服として、同年五月二四日、地方公務員災害補償基金静岡県支部審査会に対し審査請求をしたところ、同審査会は、昭和五七年一一月一三日付けで右審査請求を棄却した。
被控訴人は、昭和五八年一月三一日、地方公務員災害補償基金審査会に対し再審請求をしたが、同審査会は、昭和五九年五月一六日付けで右再審査請求を棄却する旨の裁決をした。そして、被控訴人は、同年六月三日、右裁決の送達を受けた。
4 酒井は、以下のとおり公務に起因して死亡したのであるから、本件死亡を公務外災害と認定した本件処分は違法であり、取消しを免れない。
(一) 本件死亡が公務に起因していないことの立証責任は、本件処分をした控訴人が負っているというべきであり、本件処分の取消しを求める被控訴人において本件死亡が公務に起因していることの立証責任を負うものではない。
(二) 公務災害補償は、被災者たる地方公務員及びその遺族の生活の安定と福祉の向上に寄与することを目的とするものであるから、脳卒中・急性心臓死等が公務上災害と認定されるためには、公務と死亡の間に合理的な関連性があれば足り、相当因果関係があることを必要としない。そして、右合理的関連性は、
(1) 脳卒中・急性心臓疾患等の疾病が発症したこと、
(2) 当該疾病に悪影響を与える業務に従事していたこと(質的に又は量的に過激な業務に従事している必要性や発病直前にそのような業務に従事している必要はない。)、
(3) 当該業務への従事と当該疾病(基礎疾病を含む)の発症・増悪・軽快・再発などの関連性が肯定されること(右関連性が医学的に証明される必要性はない。また、業務への従事と疾病発生までの時間的間隔につき、医学的証明を必要としない。)
の三要素が満足されれば肯定される。更に、当局に健康管理義務違反があり、そのため死亡を早めたのであれば、その死亡は、公務に起因したものというべきである。
(三) 酒井が死亡するに至った経過は次のとおりである。
(1) ごみ収集業務は、運転手と共に清掃車に乗車して浜松市内のコースを巡回し、市内の家庭の一般廃棄物が集められている各ごみ集積所において、短時間のうちに多量のごみを清掃車に積み込み、これを処理場に搬入するという作業を繰り返すものであり、形状、重さ等の異なるごみや危険物を持ち上げて、これを清掃車に投入するための不自然な屈伸運動を極めて短時間のうちに数多く繰り返さなければならないものであって、RMR(エネルギー代謝率)が高く、作業中の心拍数の増加が大きく、かつ、この状態が長時間継続する上、有害で危険な作業であり、殊に高齢者には年齢的に許される運動負荷の心拍数を大きく超える極めてきつい作業である。そして、ごみの収集量は年々増加し、ますますごみ収集作業は苛酷な労働となっていった。また、ごみ収集作業は、路上で行われるため、他の交通への配慮が必要とされる外、ごみの中に混入している危険物への配慮などから、精神的緊張をもたらすものである。
(2) 酒井は、昭和三六年から本件死亡当日まで約一六年間にわたり右のようなきつく、有害で危険な作業に従事していたものであるが、遅くとも昭和五一年四月から昭和五二年六月六日までは、ロータリー車(清掃車)に運転手一人、清掃業務員二人が乗車するいわゆる一対二体制(以下「一対二体制」という。)の下で清掃作業に従事していた。
酒井が属する北清掃事業所は、昭和五二年六月七日から、清掃車一台につき一人の清掃業務員を削減して、ロータリー車に運転手及び清掃業務員各一人が乗車するいわゆる一対一体制(以下「一対一体制」という。)の下で清掃作業をすることになった。一対一体制の下での清掃作業は、一対二体制の下での清掃作業に比較して、ごみの収集量が重量にして約二倍、収集袋数及び屈伸の回数がそれぞれ約2.24倍になり、右に比例してごみ投入の速度や投入回数も倍増した。また、従来の一対二体制の下では二人の清掃作業員が協力してごみの収集作業に従事していたのに対し、一対一体制の下では一人の作業員がすべてを処理しなければならなくなったため、精神的緊張が大幅に加重された。加えて、一対一体制の下では多数の清掃作業員が余剰となるため、余剰人員として見られやすい高齢者は、職を失うおそれを感じて大きな精神的緊張を強いられた。
(3) 酒井は、浜松市と同市職員組合との合意に従い、昭和五二年六月七日から同月一八日までは北清掃事業所の場内整理(除草)作業に従事し、同月二〇日(月曜)から一対一体制の下で清掃作業に従事した。
酒井が一対一体制の下で清掃作業に従事した六月二〇日以降の天候は、別紙のとおりであり、同月二三日から酒井が死亡した同月二五日までの三日間は雨天であって、酒井は、雨合羽を着用してごみ収集作業に当たらなければならなかった。雨合羽は、通気性が乏しいため、作業中は体温で蒸し暑くなって汗で蒸され、作業を止めると急激に身体が冷え、寒冷刺激を受ける状況であった。
(4) 酒井が死亡した昭和五二年六月二五日は、五年に一度の記録的大雨であった。
酒井は、同日午前八時三五分ころ、雨合羽を着用し、小島覚太郎(以下「小島」という。)運転のロータリー車に乗車し、北清掃事業所を出発した。
酒井は、同日午前八時四五分ころ、最初のごみ集積所に着く前の浜松市泉四丁目先路上で、豪雨の中で道路側溝に脱輪して脱出に難渋しているタクシーに出会ったので、これに助勢するため、ロータリーに乗車したまま五〇メートル程先にあった板(長さ一五〇センチメートル、幅一五センチメートル、厚さ1.5センチメートル)三枚を取りに行き、右脱輪場所に小走りでとって返し、脱輪した車の後ろに右板をあてがってタクシーの誘導を行い、タクシーが脱出した後、右板三枚を持って五〇メートル程先の右板が置いてあった場所まで小走りで戻って右板を返し、同所で再び清掃車に乗車してごみ集積所に向かった。
酒井は、同日午前八時五〇分ころ、ロータリー車が最初の集積所に到着したので、作業にかかるため下車した。小島は、運転席で作業が始まるのを待っていたが、酒井が下車したのに一向に作業が始まる様子がないので、サイドミラーで後部を見たところ、酒井が豪雨の中で車に寄り掛かるような格好で立っており、作業に取り掛かる様子がないのが分かったため、下車して後方に回ったが、酒井は、顔面蒼白でぶるぶる震えており、小島の呼び掛けにも応ぜず、意識不明であった。
酒井は、同日午前九時〇三分に救急車で前記八木病院に搬入され、二〇分間程人工呼吸が行われたが蘇生せず、発症後約四五分を経過した同日午前九時三五分ころ、八木久男医師により死亡と診断された。
(四) 酒井の死因は、以下のとおり、致死的不整脈の発生である。
(1) 酒井は、大正四年五月一七日生まれで、本件死亡当時六二才であった。酒井は、身長157.2センチメートル、体重七七キログラムの肥満体であったが、病的な肥満ではなく、また、高血圧症(軽症の上から中等症にかかる程度)、冠不全、左室肥大などの既往症があったが、これらも特に重大な症状ではなかった。そして、酒井は、日常規則正しい生活をしており、医師による投薬治療を誠実に受けていた。
酒井は、昭和五二年一月二六日から同年三月二三日位までの間(酒井が最後にレントゲン撮影をした同年六月二三日の三か月前位)に発症した心臓前壁中隔部の陳旧性心筋梗塞の既往症を有していたが、本件死亡当時には急性期を脱しており、直ちに死亡に結びつくような状況ではなかった。
(2) 酒井のような陳旧性心筋梗塞の既往症を有する者が急死する原因としては、①心筋梗塞の再発、②心室瘤の破裂、③不整脈の発生が指摘されているところ、①の心筋梗塞の再発によって死亡する場合は、かなり重症の状態で病院に搬入されたときでも、二、三時間又は数時間にわたって治療が施された後に死亡するのが大部分であるから、酒井のように発症後約四五分で死亡している場合には心筋梗塞の再発により死亡したとみることはできず、②の心室瘤の破裂によって死亡する場合は、本当の突然死であり、酒井のように発症後約四五分で死亡するということは有り得ないから、酒井の死因は、心室瘤の破裂でもない。③の不整脈の発生は、右(一)の酒井が死亡するに至る経過記載の発症から死亡までの時間的経過等に良く合致している。酒井の死因は、右①及び②によるものではなく③の致死的不整脈の発生によるものである。控訴人の主張するような心筋梗塞の再発や重症心室性不整脈による突然死ではない。
(五) 本件死亡は以下のとおり公務に起因するものである。
(1) 酒井は、本件死亡当時六二歳の高齢であり、北清掃事業所において実際のごみ収集作業に従事していた者の中では最高齢であった。高齢者は、青壮年期に比べて労働能力が著しく低減しており、過酷な肉体労働、高速を要する仕事、過労を生ずる仕事、ストレスの大きい仕事、有害な仕事、心臓・循環系に大きな負担となる仕事には適していない。
酒井は、陳旧性心筋梗塞の既往症を有していたが、これのみですぐに死に結びつくものではなかった。酒井は、心臓の耐容能力についてチェックしながら運動量をコントロールし、心臓の運動機能を増強させて、社会復帰を図るべき状態にあった。したがって、このような時期に過度の労働など、コントロールされない運動負荷を与えることは、酒井にとっては禁忌とされる状況であり、運動をするに当たっては、①処方された運動強度を守り決して無理をしないこと、②準備運動と整理運動を必ず行うこと、③過労など体調の悪いときには無理に運動しないこと、④一週間以上運動を休んだら、いきなり元のペースから始めずに、軽い運動から再開することなどが必要であった。また、精神的な緊張やストレスの蓄積も陳旧性心筋梗塞の予後に過重な負担を与えるから、精神的なストレスを回避するため、①高温多湿下での運動を避けること、②寒冷環境下では防寒に注意することなどが要求されていた。
(2) 酒井は、従前、一対二体制の下で、ロータリー車による清掃作業に従事していたが、一旦、構内の清掃作業という軽労働に従事した後、慣らし作業的な準備をすることなく、昭和五二年六月二〇日から、一対一体制の下で清掃作業に従事することになった。そのため、酒井は、一対二体制に比較してごみの収集量が重量にして約二倍、収集袋数及び屈伸の回数がそれぞれ約2.24倍という重労働にいきなり従事することになった。また、ごみ収集作業は、交通量の多い道路上での作業であり交通事故などを起こさないように周囲に気をつける必要がある外、ごみの中に混入している危険物への配慮が必要であるなど精神的緊張を絶えず伴うものであった上、酒井が収集作業に従事した五日間のうち死亡当日を含めた三日間は雨中の作業であり、殊に酒井が死亡した同月二五日は、五年に一度位の土砂降りであったから、酒井は、普段以上に気を配って作業をしなければならず、精神的緊張を強いられていた。
(3) 酒井は、本件死亡当日、車内で蒸されるような状態から激しい雨の中に出てタクシー助勢作業等を行ったことにより二回に渡って寒冷被爆を受け、また、雨合羽を着用しているため体温の調節が制約を受ける状況において、前記4(三)(4)のように板三枚を持って約五〇メートルの距離を小走りに往復した。なお、タクシー助勢行為は、公務に準じるものであり、これは、地方公務員災害補償基金静岡県支部審査会及び地方公務員災害補償基金審査会も認めている。
(4) 以上のように、酒井は、いくつかの既往症を有していたがこれのみではすぐに死亡するような状況になかったが、約一六年間にわたり清掃作業という過重な労働を繰り返してきたことにより、致死的不整脈発生の準備的・前段階的な身体状況が作出されていたところに、一対二体制から一対一体制に移行するに当たって、一旦ごみ収集作業という重労働から解放された後、慣らし作業等の準備的段階を経ないまま、一対一体制の下でいきなり従前の倍にも及ぶごみ収集作業という労働負担をかけられた上、死亡当日には、前記のような悪環境の中でタクシー助勢行為をし、暑さ寒さなどの刺激を受けるなどしたため、高齢でかつ陳旧性心筋梗塞によって機能の低下していた心臓に極度の負荷を受け、致死的不整脈を発生して死亡したものであって、本件死亡と公務との間には合理的関連性のみならず相当因果関係が存在するものであり、本件死亡が公務に起因することは明らかである。
(5) また、以下に述べるとおり酒井につき、浜松市に健康管理義務違反があり、そのためにその死亡を早めたのであるから、その死亡は、公務に起因したものというべきである。
酒井は、本件死亡当時、いくつかの基礎疾病を有しており、そのうち、高血圧・冠不全などについては浜松市も定期健康診断により状態を把握していた。また、中高年齢者は、その年齢自体で要配慮者(労働安全衛生法六二条)であるというべきである。酒井は、六二歳という高齢であり、基礎疾病を有していたのであって、就業に当たって特に配慮を要する者(同条)に該当していたから、浜松市は、昭和五二年六月二三日に実施された成人病検診の結果が出るまで、酒井の一対一体制における就労を差し控えさせるべきであった。ところが、浜松市は、酒井について心身の条件に応じての適正な配慮に努めることなく、一対二体制でも既に限界というべき酒井を、労働負担が二倍以上の一対一体制におけるごみ収集作業に従事させた。したがって、浜松市に健康管理義務違反があり、そのため酒井の死亡を早めたことは明らかであるから、本件死亡は、公務に起因したものというべきである。
5 よって、本件死亡を公務外災害であるとした本件処分は違法であるから、被控訴人は、控訴人に対し、本件処分の取消しを求める。
二 請求の原因に対する認否
1 請求の原因1ないし3記載の事実はいずれも認める。
2 同4(一)の主張は争う。
本件処分は、被控訴人の公務災害認定請求(被災職員の疾病・死亡が公務に起因するものであることの認定請求)を却下する処分であり、また、右認定請求は、自己の権利・利益領域の拡張を求める請求であるから、本件死亡と公務との間に相当因果関係が存することの立証責任は被控訴人が負うものであり、被控訴人は、本件死亡と公務との間に相当因果関係が存することを高度の蓋然性により証明する責任を有する。この場合、因果関係の証明の有無は科学的・医学的確証が得られるか否かにより判断されるべきであり、右確証が得られない場合に、科学的・医学的経験則と矛盾しない範囲で、通常人が疑いを差し挾まない程度に真実性の確信が得られるか否かによって判断されるべきである。
3 同4(二)の主張は争う。
地方公務員災害補償法に規定する公務上災害による死亡の場合、地方公共団体は、無過失責任を負い、地方公共団体が拠出する負担金により一切の損失補償をしなければならないものである。したがって、同法第三一条、四二条にいう「職員が公務上死亡した場合」とは、職員が公務に基づく負傷又は疾病に起因して死亡した場合をいい、右負傷又は疾病と公務との間に相当因果関係があることを必要とする。本件は、酒井が基礎疾患である虚血性心疾患によって死亡した事案であり、このような場合、右疾患と公務との間に相当因果関係があるとされるためには、右疾患が引き金になって本件死亡が発生しただけでは足りず、
① 右疾患発症の種々の原因のうち、公務が発症の相対的に有力な原因であると認められること
② 右疾患があって発症・増悪した場合には、特に公務について、右疾患の自然的経過による発症や自然的増悪に比べて、著しく急速に発症させ、あるいは急激に増悪させた原因となったものとするだけの精神的・肉体的負担の強度が認められること
が必要である。また、右②が認められるためには、発症状況が、時間的・場所的に明確にされ得る異常な出来事への遭遇や特定の労働時間内において日常業務に比較して特に過激な業務への就労というような災害ないし加重負荷又はそれに相当するような事態の存在が必要である。
右のような災害的要因がなく、業務に常在する有害作用が当該業務に従事する労働者の身体に対し、長期間にわたって徐々に加重蓄積されて特有な疾病を発症させるものは右②の問題ではなく、いわゆる職業病の問題であり、これについては、特定のものを業務上の疾病として決定・指定し、業務起因性を確認しているところ、右虚血性心疾患がごみ清掃業務に特有の職業病であるとはいい得ない。
4 同(三)(1)記載の事実のうち、ごみ収集業務は、運転手と共に清掃車に乗車して浜松市内のコースを巡回し、市内の家庭の一般廃棄物が集められている各ごみ集積所において、ごみを清掃車に積み込み、これを処理場に搬入するという作業を繰り返すものであること、ごみ収集作業は、路上で行われるため、他の交通への配慮が必要とされることは認め、その余の事実は否認する。
清掃業務ないしごみ収集作業は、各自治体が行っている通常業務であり、北清掃事業所の業務内容が他の自治体の清掃業務内容に比べて、また、清掃業務の内容自体が他の現業の職種のそれに比べて、特に作業環境が劣悪かつ過重等であるということはない。
5 同4(三)(2)記載の事実のうち、酒井が、昭和三六年から本件死亡当日まで約一六年間にわたりごみ清掃作業に従事していたものであり、遅くとも昭和五一年四月から昭和五二年六月六日まで、ロータリー車に運転手一人、清掃業務員二人が乗車する一対二体制の下で清掃作業に従事していたこと、酒井が属する北清掃事業所は、同年六月七日から、清掃車一台につき一人の清掃業務員を削減して、ロータリー車に運転手及び清掃業務員各一人が乗車する一対一体制の下で清掃作業をすることになったことは認め、その余の事実は否認する。
浜松市では、従来、一対二体制によりダンプ車を使用してごみ収集作業を行っていたが、昭和五二年六月七日から、一人当たり一日四車、ごみ収集量は一日平均で六トンを超えない等の条件の下で、収集地区を従来の二八地区から三〇地区に細分化して清掃業務員一人当たりのごみ収集範囲を狭めた上、一対一体制によりロータリー車を使用して清掃作業を始めた。北清掃事業所では、昭和四八年ころから、順次清掃作業車をダンプ車からロータリー車へ移行して行き、その過程で一対二体制によりロータリー車を使用して清掃作業が行われたことがあったが、これは、過渡的なことであるから、一対一体制による作業の軽重は、ダンプ車を使用して一対二体制による作業をしていたときの作業と比較すべきである。ダンプ車を使用しての作業の場合、最低1.85メートルから最高三メートルの高さまで廃棄物を投げ上げる必要があるのに対し、ロータリー車の場合には、1.2メートル程の一定した高さのごみ投入口に廃棄物を投入することで足りるため、ロータリー車を使用した一対一体制によるごみ収集作業がダンプ車を使用した一対二体制によるごみ収集作業よりもきつい作業であるとはいえない。
浜松市と同市職員組合及び同市北清掃事業所職場委員との間で締結された覚書により、余剰人員については本人が希望する場合を除き配置転換はしない旨取り決められた。したがって、配置転換のおそれによる精神的緊張を与えたことはない。
6 同4(三)(3)記載の事実のうち、酒井が、浜松市と同市職員組合との合意に従い、昭和五二年六月八日から同月一八日までは北清掃事業所の場内整理(除草)作業に従事し、同月二〇日(月曜)から一対一体制の下で清掃作業に従事したこと、酒井が一対一体制の下で清掃作業に従事した昭和五二年六月二〇日以降の天候は、別紙のとおりであり、同月二三日から酒井が死亡した同月二五日までの三日間は雨天であって、酒井は、雨合羽を着用してごみ収集作業に当たらなければならなかったことは認め、その余の事実は否認する。
酒井は、昭和五二年六月八日から同月一八日までは北清掃事業所の場内整理(除草)作業に従事したが、酒井は、これにより疲労回復の機会を与えられたものである。
酒井の作業量は、ロータリー車を使用して一対二体制の下で清掃作業に従事していた昭和五二年五月の一か月平均で乗車回数が3.11回(他の作業員の平均が3.2回)、ごみ収集量が2.86トン(同2.78トン)であるのに対し、一対一体制の下で清掃作業に従事した昭和五二年六月二〇日から同月二四日までの平均は、乗車回数が2.8回(同3.01回)、ごみ収集量が4.74トン(同5.22トン)であり、ことに、本件死亡の前日及び前前日は、乗車回数が各二回(同2.68回及び2.6回)、ごみ収集量が3.76トン及び2.96トン(同3.85トン及び3.89トン)であって、一対二体制の下での作業量に比較して特に過重なものではないし、他の作業員と比較すると平均以下であって、過重なものではなかった。
7 同4(三)(4)記載の事実のうち、酒井が死亡した昭和五二年六月二五日が五年に一度の記録的大雨であったこと、酒井が発症後約四五分を経過して死亡したことは否認し、その余の事実は認める。
酒井は、本件死亡当時、ロータリーを作動させるためロータリー車から下車して車体後部のレバーの所まで歩いていったものの、ロータリーを作動させることができず、顔面を蒼白にして震えながら車に寄り掛かり、小島に対し返答することができない状態となったもので、殆ど即死であった。
8 同4(四)(1)記載の事実のうち、酒井が大正四年五月一七日生まれで、本件死亡当時六二才であったこと、酒井が肥満体であったこと、酒井に高血圧症、冠不全、左室肥大、心臓前壁中隔部の陳旧性心筋梗塞の既往症があったこと、酒井が昭和五二年六月二三日にレントゲン撮影をしたことは認め、その余の事実は否認する。
酒井には、昭和五二年六月二三日の成人病検診の際、心臓の前壁の心筋に四分の一ないし三分の一の広さにわたる壊死が、心室中隔の心筋に三分の一の広さにわたる壊死があり、加えて左室肥大プラス虚血性変化が認められたもので、いついかなる時期に心筋梗塞の再発に起因する不整脈ないし重症心室性不整脈が発症しても医学上不自然でない状況にあったものである。また、酒井は、右検診の際には最高血圧が、一二〇、最低血圧が七〇と正常であった。なお、控訴人は、これらの診断結果を本件死亡後の同月三〇日に知らされた。
9 同4(四)(2)記載の主張は争う。
酒井の死因は、急性心筋梗塞の再発に起因する不整脈の発生による死亡であるか、又は重症心室性不整脈による突然死である。
陳旧性心筋梗塞症の患者が急死をする原因としては、可能性の順番に、①心筋梗塞の再発、②心室瘤の破裂、③血圧の上昇による不整脈又は左心不全が存するところ、本件死亡直前の成人病検診において、酒井の血圧は上下とも正常であった上、本件死亡当時の気温は摂氏19.3度あって寒冷といえる状態ではなく、酒井が本件死亡当時いきむ行為をしていないことを考慮すると、③の血圧の上昇による不整脈又は左心不全による死亡ということは考えがたく、②の心室瘤の破裂については本件で尋問した三名の医師ともその可能性を否定していること、加えて、酒井が右検診の際、息切れ、動悸、運動・仕事時の胸を締めつけられるような感じ、脈が不規則に打つなど心筋梗塞の前症候群ともいうべき症状を訴えていたことを考慮すると、①の心筋梗塞の再発がもっとも合理的である。酒井の発症から死亡まで時間の短さは、心筋梗塞の症状としてのショックによると認められる。
また、酒井は、発症があってから二四時間以内に死亡した突然死であり、しかも、一分以内に血圧が下がって意識がなくなって、そのまま死に至る瞬間死である。瞬間死の場合、死亡前の活動との相関関係は明らかでなく、午前六時から午前一〇時まで及び午後六時過ぎに発症のピークが存する。酒井のように陳旧性心筋梗塞症の既往症を有し、不整脈と息苦しさ等の自覚症状がある者は突然死する可能性が高いもので、酒井の死因は重症心室性不整脈による突然死であると考えられる。なお、重症心室性不整脈の発生原因は、心拍数の増加や運動などによる心臓への負荷の増大(血圧の上昇)だけではなく、そのような状況がなくとも発症するものである。
10 同4(五)(1)の事実及び主張は争う。
酒井は、昭和五二年六月二三日の成人病検診により、陳旧性心筋梗塞の既往症が発見されており、いついかなる時期に心筋梗塞の再発に起因する不整脈ないし重症心室性不整脈が発症して死亡しても不自然ではない状況にあったものである。
11 同4(五)(2)の事実及び主張は争う。
一対一体制による作業の軽重は、ダンプ車を使用して一対二体制による作業をしていたときの作業と比較すべきであるところ、ロータリー車を使用した一対一体制によるごみ収集作業がダンプ車を使用した一対二体制によるごみ収集作業よりもきつい作業であるとはいえない。また、一対一体制による作業は、他の自治体における作業と比べても過重なものではない。
12 同4(五)(3)の事実及び主張は争う。
本件死亡当日の気温は摂氏19.3度であり、寒冷被爆に晒されるという状況にはなかったし、酒井が血圧を上昇させるような運動をしたこともなかった。また、タクシー助勢行為は通常のごみ収集作業に比べて過重ではない。
本件タクシー助勢行為は公務又は公務に準じる行為であるとはいえない。本件タクシーの脱輪現場は、幅員約6.60メートルの道路であり、当時、右タクシーの横を清掃車二台が安全に擦れ違うことができる余地があった上、雨天とはいえ視界も相当程度きいていたから、客観的には他のロータリー車の通行の支障や業務の遂行にとって障害となるべき状況がなかったもので、酒井の行為は、これらの支障や障害を排除するため必要不可欠な行為ではなく、公務ではない。また、公務に準じる行為であるともいえない。
13 同4(五)(4)の事実及び主張は争う。
前記のとおり、酒井の死因は、急性心筋梗塞の再発に起因する不整脈の発生による死亡であるか、又は重症心室性不整脈による突然死であるが、これらは、いずれも、酒井のような陳旧性心筋梗塞の既往症を持つ者にとっては、いついかなるときでも発症するものであり、一定の運動量を超える運動をした場合にこれらが発症するという資料はないから、酒井の従事していたごみ清掃業務やタクシー助勢行為に起因して発症したとは認められないし、これらとの間に相当因果関係があるとも認められない。
事務職に比較して筋肉労働をしている者の方が心筋梗塞になりにくいとするのが一般的であるから、酒井がごみ清掃作業に従事してきたことにより致死的不整脈発生の準備的・前段階的な身体状況が作り出されたということはない。酒井は、一対一体制に移行する前に一〇日間程構内作業に従事しているが、本件死亡前に四日間一対一体制の下でごみ収集作業に従事しており、ウォーミング・アップ不足のまま本件死亡当日を迎えたということはない。また、酒井の一対一体制の下でのごみ収集作業の量及び質は他の職員と同等又はそれ以下のものであり、また、タクシー助勢行為も通常の清掃作業とさしたる変わりがないものであって、いずれも特に過重な業務に該当するものではない。
酒井の死因である重症心室性不整脈は、タクシー助勢行為とは無関係に発症したものである。タクシー助勢行為により重症心室性不整脈が発症したとするならば、その不整脈はタクシー助勢行為の最中又はその直後に発症するのが普通であるところ、酒井は、右行為が終了した後九〇〇メートルも移動し、その間普段と変わりがない様子であったものであり、右移動後に重症心室性不整脈を発症しているから、これがタクシー助勢行為に起因するものでないことは明らかである。
14 同4(五)(5)の事実及び主張は争う。
公務上の死亡であると認定されるためには、公務と死亡との間に相当因果関係があることが必要であるところ、使用者の安全配慮義務違反の有無は、公務と死亡との間に相当因果関係があることとは直ちに関係しないものであり、安全配慮義務違反があったとしても地方公共団体の債務不履行が問題となるのみである。
第三 証拠関係<省略>
理由
一請求の原因1ないし3記載の事実は、いずれも当事者間に争いがない。
二本件死亡が公務に起因するものであるか否かについて判断する。
1 被控訴人は、本件処分の取消しを求める被控訴人において本件死亡が公務に起因していることの立証責任を負うものではなく、本件処分をした控訴人において本件死亡が公務に起因していないことの立証責任を負う旨主張する。しかし、本件処分は、被控訴人の公務災害認定請求を却下する処分であり、また、右認定請求は、被控訴人が自己の権利・利益領域の拡張を求める請求であるから、本件死亡が公務に起因して発生したことの立証責任は被控訴人が負うというべきであり、この点についての被控訴人の主張は採用できない。
2 本件死亡が公務上災害と認定されるためには、本件死亡が公務の遂行中に発生したこと及び本件死亡と公務との間に相当因果関係が存することが必要であるというべきである。被控訴人は、この点に関し、脳卒中死・急性心臓死等が公務上災害と認定されるためには、公務と死亡との間に合理的な関連性があれば足り、相当因果関係があることを必要としない旨主張するが、このように解すると、私病による脳卒中死・急性心臓死等が無限定に公務上災害と認定されるおそれがあって妥当でなく、右主張は採用し難い。
なお、控訴人は、基礎疾患である虚血性心疾患によって公務員が死亡した場合、死亡と公務との間に相当因果関係があるとされるためには、
① 右疾患発症の種々の原因のうち、公務が発症の相対的に有力な原因であると認められること
② 右疾患があって発症・増悪した場合には、特に公務について、右疾患の自然的経過による発症や自然的増悪に比べて、著しく急速に発症させ、あるいは急激に増悪させた原因となったものとするだけの精神的・肉体的負担の強度が認められること
の二つの基準を満たすことが必要であり、また、右②が認められるためには、発症状況が、時間的・場所的に明確にされ得る異常な出来事への遭遇や特定の労働時間内において日常業務に比較して特に過激な業務への就労というような災害ないし加重負荷又はそれに相当するような事態の存在が必要であると主張する。右基準は、基礎疾患である虚血性心疾患によって公務員が死亡した場合において、当該死亡が公務上、公務外のいずれに属するのかを判定するに当たって一つの有効な判断基準となることは否定し難いけれども、常に一般的に「時間的・場所的に明確にされ得る異常な出来事への遭遇や特定の労働時間内において日常業務に比較して特に過激な業務への就労というような災害ないし加重負荷又はそれに相当するような事態の存在が必要である」とすることは相当でなく、個々の事案に即して医学的に見て公務と死亡との間に相当因果関係が認められる限り、右①及び②の基準を満たさなくても、公務に起因するものと認めて差し支えないというべきである。
3 各項中に掲げる各証拠によると、酒井が死亡するに至った経過は次のとおりであると認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
(一) 北清掃事業所におけるごみ収集作業の概略は、清掃車に運転手と共に清掃作業員が乗車し、浜松市内の家庭の一般廃棄物が集められている各ごみ集積所を巡回してごみを清掃車に積み込み、これを処理場に搬入するという作業を繰り返すものであり、昭和四八年以前は、専らダンプ車を使用して行われていたが、同年ころから徐々にロータリー車が導入されるようになった。
ダンプ車を使用してのごみ収集作業は、一対二体制で行われていた。一方、ロータリー車を使用してのごみ収集作業については、当初、試験的に一対一体制で行われたが、運転手や清掃作業員の反対が強く、まもなくダンプ車の場合と同じように、一対二体制によりごみ収集作業が行われるようになった(なお、浜松市の南清掃事業所においては、ロータリー車を使用してのごみ収集作業については、当初より一貫して一対一体制で行われていた。)。
しかしながら北清掃事業所においては、昭和五二年ころには、清掃車が殆どロータリー車に変わっていたところから、職員組合等との話合いにより、同年六月七日から、一人当たり一日四車、ごみ収集量は一日平均で六トンを超えない、一対一体制の導入により生じる余剰人員については、本人が希望する場合を除き当面配置換えはしない等の条件の下で、収集地区を従来の二八地区から三〇地区に細分化して清掃業務員一人当たりのごみ収集範囲を狭めた上、従来一対二体制で行われていたごみ収集作業を一対一体制で行うこととなった。
なお、ごみ収集作業員は、通常午前八時ころに北清掃事業所に出勤し、午前八時三〇分ころからラジオ体操をした上、ごみ収集作業に出掛け、午前一一時三〇分ころ、北清掃事業所に戻り、昼休みの後、午後一時ころごみ収集作業に出掛け、午後三時半ころには北清掃事業所に戻り、残務整理をした後、午後五時ころ帰宅する状況であった(<書証番号略>、原審証人橋本学、石塚末吉、小島覚太郎、古川潔、堀江實、大石茂夫。なお、ごみ収集業務は、清掃作業員が、運転手と共に清掃車に乗車して浜松市内のコースを巡回し、市内の家庭の一般廃棄物が集められている各ごみ集積所において、ごみを清掃車に積み込み、これを処理場に搬入するという作業を繰り返すものであること、ごみ収集作業は、路上で行われるため、他の交通への配慮が必要とされること、北清掃事業所は、昭和五二年六月七日から、一対一体制の下で清掃作業をすることになったことは当事者間に争いがない。)。
(二) ダンプ車を使用して一対二体制でするごみ収集作業と、ロータリー車を使用して一対一体制でするごみ収集作業とを比較すると、ダンプ車の場合、約1.8メートルないし約三メートルの高さまでごみを投げ上げなければならないのに対し、ロータリー車の場合には約1.10メートルないし1.17メートルの高さの投入口にごみを投げ入れるだけで済むため、単純に人数の比較のみで、ダンプ車を使用して一対二体制でするごみ収集作業の方がロータリー車を使用して一対一体制でするごみ収集作業より清掃作業員の労働が軽いとはいえないが、ロータリー車を使用した場合の一対二体制と一対一体制を比較すると、清掃作業員の作業量が増大することは明らかであり、従来二人の清掃作業員が協力してごみの収集作業に従事していたのが、一対一体制の下では一人の作業員がすべてを処理しなければならなくなったため、精神的緊張が加重されるに至った(<書証番号略>、原審証人橋本学、石塚末吉、小島覚太郎、堀江實、大石茂夫)。
(三) 浜松市におけるロータリー車を使用してのごみ収集作業は、他の自治体とほぼ同様の態様であって、特に、これが他の自治体に比較して過重なものではない。
しかし、ごみ収集作業は、形状、重さ等の異なるごみ、危険物を中腰になって持ち上げこれを清掃車に投入するという同一の屈伸運動を数多く繰り返さなければならず、時には六〇キログラム程度の重量物をも投入しなければならないものであって、RMR(エネルギー代謝率)が高く、作業中の心拍数が増加し、かつ、この状態が長時間継続する作業である。ごみ収集作業は、速い積み込み速度の場合には、RMRが一〇を超えて一五前後に達することもあり、ショベル土寄せ(RMR5.3)、セメント袋運搬(同8.9)などの重労働と比較しても肉体的に負担の大きな作業であり、殊に高齢者には年齢的に許される運動負荷の心拍数を超えることがあるきつい作業である。
また、ごみ収集作業は、路上で行われるため、他の交通への配慮が必要とされる外、ごみの中に混入している危険物への配慮などから、精神的緊張をもたらすものである(<書証番号略>、原審証人橋本学、石塚末吉、小島覚太郎、山本友一、堀江實、大石茂夫、当審証人井谷徹)。
(四) 酒井は、昭和三六年から本件死亡当日まで約一六年間にわたり右のようなごみ清掃作業に従事していたものであり、遅くとも昭和五一年四月から昭和五二年六月六日まで、一対二体制の下で清掃作業に従事していた。酒井は、浜松市と同市職員組合との合意に従い、同日から同月一八日までは北清掃事業所の場内整理(除草)作業に従事し、同月二〇日(月曜)から一対一体制の下で清掃作業に従事した。
酒井が一対一体制の下で清掃作業に従事した昭和五二年六月二〇日以降の天候は、別紙のとおりであり、同月二三日から酒井が死亡した同月二五日までの三日間は雨天であって、酒井は、雨合羽を着用してごみ収集作業に当たらなければならなかった(当事者間に争いがない。)。
(五) 酒井の作業量は、ロータリー車を使用して一対二体制の下で清掃作業に従事していた昭和五二年五月の一か月平均で乗車回数が3.11回(他の作業員の平均が3.2回)、ごみ収集量が2.86トン(同2.78トン)であるのに対し、一対一体制の下で清掃作業に従事した昭和五二年六月二〇日から同月二四日までの平均は、乗車回数が2.8回(同3.01回)、ごみ収集量が4.74トン(同5.22トン)であり、本件死亡の前日及び前前日は、乗車回数が各二回(同2.68回及び2.6回)、ごみ収集量が3.76トン及び2.96トン(同3.85トン及び3.89トン)であり、他の作業員と比較すると平均以下であったが、それでも、一対二体制当時に比較して、収集袋数及び屈伸回数は約二倍に増加した(<書証番号略>、原審証人古川潔。)。
(六) 酒井が死亡した昭和五二年六月二五日は、雨量が九四ミリメートルを記録する大雨であり、気温は摂氏19.3度であった。
酒井は、同日午前八時三五分ころ、雨合羽を着用し、小島運転のロータリー車に乗車し、北清掃事業所を出発した。
酒井は、同日午前八時四五分ころ、最初のごみ集積所に着く前の浜松市泉四丁目先路上で、豪雨の中で道路側溝に脱輪して脱出に難渋しているタクシーに出会ったので、急遽これを救出すべく、ロータリー車に乗車したまま五〇メートル程先にあった板(長さ一五〇センチメートル、幅一五センチメートル、厚さ1.5センチメートル)三枚を取りに行き、右脱輪場所に小走りでとって返し、脱輪した車の後ろに右板をあてがってタクシーの誘導を行い、タクシーが脱出した後、右板三枚を持って五〇メートル程先の右板が置いてあった場所まで小走りで戻って右板を返し、同所で急いで再び清掃車に乗車してごみ集積所に向かった。
酒井は、小島と助かって良かったなどと話をしながら、最初のごみ集積所に向かい、約二分走行して同日午前八時五〇分ころ、ロータリー車が最初の集積所に到着したので、作業にかかるため「あいよ」と言って下車した。小島は、運転席で作業が始まるのを待っていたが、酒井が下車したのに一向に作業が始まる様子がないので、サイドミラーで後部を見たところ、酒井が豪雨の中で車に寄り掛かるような格好で立っており、作業に取り掛かる様子がないのが分かったため、下車して後方に回ったが、酒井は、顔面蒼白でぶるぶる震えており、小島の呼び掛けにも応ぜず、意識不明であった。
酒井は、同日午前九時〇三分に救急車で前記八木病院に搬入され、二〇分間程人工呼吸が行われたが蘇生せず、発症後約四五分を経過した同日午前九時三五分ころ、八木久男医師により死亡と診断された(<書証番号略>、原審証人小島覚太郎、原審及び当審証人土肥豊。なお、以上の点は、酒井と小島の会話、タクシーの脱輪地点から約二分走行して最初のごみ集積所に到着したこと、酒井が発症後約四五分を経過して死亡したとの点を除いて当事者間に争いがない。)。
4 酒井の死因が不整脈であることは、控訴人及び被控訴人が共に主張するところであり、本件では、右不整脈の原因が問題となるので、この点について判断する。
(一) 酒井は、大正四年五月一七日生まれで、本件死亡当時六二才であった。酒井は、身長一五八センチメートル、体重七五キログラムの肥満体であり、また、高血圧症、冠不全、左室肥大などの既往症があったが、これらは特に重大な症状ではなかった。そして、酒井は、日常規則正しい生活をしており、医師による投薬治療を誠実に受けていた。
酒井は、昭和五二年一月二六日から同年三月二三日位までの間(酒井が最後にレントゲン撮影をした同年六月二三日の三か月前位)に発症した心臓前壁中隔部の陳旧性心筋梗塞(心臓の前壁の心筋に四分の一ないし三分の一の広さにわたる壊死が、心室中隔の心筋に三分の一の広さにわたる壊死があるもの)及び左室肥大プラス虚血性変化の既往症を有しており、同年六月二三日に行われた検診の際、息切れ、動悸、運動や仕事をしたとき胸の締めつけられる感じがあること、脈が不規則に打つことがあることなどの自覚症状を訴えていたもので、すぐに死亡に至るというような状況ではないものの、直ちに入院・精査をすべき状況にあった。なお、心筋梗塞患者の累積生存率は、発症後一年間が九〇パーセント以上、三年間でも八〇パーセント以上であり、その平均年間死亡率は五パーセント内外であって、必ずしも死亡する確率が高いわけではない(<書証番号略>、原審証人鏑木恒男、原審及び当審証人土肥豊、当審証人藤井潤。酒井が大正四年五月一七日生まれで、本件死亡当時六二才であったこと、酒井が肥満体であったこと、酒井に高血圧症、冠不全、左室肥大、心臓前壁中隔部の陳旧性心筋梗塞の既往症があったこと、酒井が昭和五二年六月二三日にレントゲン撮影をしたことは当事者間に争いがない。)。
(二) 原審証人鏑木恒男、原審及び当審証人土肥豊、当審証人藤井潤の証言によると、酒井のような陳旧性心筋梗塞患者が不整脈を発症して死亡する原因としては、
① 運動による心拍数の増加の結果、虚血状態が発生して重症心室性不整脈が発症する場合
② 運動に伴い、心筋梗塞の再発により重症心室性不整脈が発症する場合
③ 労働、ことに重いものを持ち上げるような行為をした結果、血圧が上昇し、心臓の負荷の増大を原因として心筋から重症の不整脈が発生する場合
④ 運動あるいは精神的緊張に伴ってカテコールアミンが分泌された結果血圧が上昇し、心臓の負荷の増大を原因として心筋から重症の不整脈が発生する場合
が存するが、また、酒井のような陳旧性心筋梗塞患者は、睡眠中のように運動とは全く関係ないときでも、不整脈により突然死する場合もあることが認められる。
そして、酒井が、前記タクシー助勢行為後約二分後に不整脈を発症し、約四五分を経過して死亡していること、タクシー助勢行為は、大雨の中、雨合羽を着用し、長さ一五〇センチメートル、幅一五センチメートル、厚さ1.5センチメートルの板三枚を持って約五〇メートルの距離を小走りに往復したというものであって、かなり重い労働といい得るものであったこと(雨合羽を着用して行われた板の運搬実験によると、右同様の板三枚を運搬することにより、一人の最高血圧が一二四から一四六に、脈拍が八三から一一九に増加し、他の一人の最高血圧が一二七から一五二に、脈拍が七九から一〇二に増加したことが認められる。<書証番号略>。)、加えて、タクシー助勢行為は、酒井にとっては予定外のいわば突発的事件であり、しかも酒井の判断により、ごみ収集作業を一時中断して行われたものであるから、できるだけ早くこれを了え、一刻も早くごみ収集作業に復帰すべく小走りで行動したものであって、酒井としては相当に気がせいていた状況にあり、これが高度の精神的緊張をもたらしていたものと推認されること、心筋梗塞の再発の場合、発症後二、三時間以上経過して死亡する例が多く(<書証番号略>、原審証人土肥豊)、発症後四五分して死亡した酒井の場合には②の例は当てはめがたいことを考慮すると、酒井は、直接的にはタクシー助勢行為に起因して、右①、③又は④のいずれかの理由により、重症心室性不整脈を発症し、死亡したと認められる。
当審証人藤井潤は、タクシー助勢行為に起因して不整脈が発症したとすれば、タクシー助勢行為中ないしその直後に不整脈が発症している筈であるのに、約二分も経過してから不整脈が発症しているので、酒井の不整脈はタクシー助勢行為とは関係しない旨の右認定に反する意見を述べるが、酒井のような六〇歳を超えた人の場合、運動をしている最中やその直後でなく、三分位してから心電図の変化が出てくる場合も稀ではなく、タクシー助勢行為後二分程度を経過した後に不整脈の症状が発症したとしても不思議はないこと(当審証人土肥豊)を考慮すると、右意見は採用することができない。また、原審証人鏑木恒男は、酒井は、医学的には、いつ死んでも不思議の無い状態であったもので、タクシー助勢行為とは無関係に死亡したものである旨述べるが、右意見は、酒井がしたタクシー助勢行為の際における具体的状況・条件やその直後に死亡していることを正当に評価しているとは認め難く採用することができない。
そして、他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。
5 右1ないし4を前提として、本件死亡と公務との間に相当因果関係が存するか否かを判断するに、酒井は、陳旧性心筋梗塞などいくつかの既往症を有していたものの、これのみではすぐに死亡するような状況になかったものであるが、昭和五二年六月二〇日から一対二体制の下での作業量に倍加する一対一体制の下でのごみ清掃作業に従事したため、陳旧性心筋梗塞が増悪し、重症心室性不整脈の発生などの心疾患を発症させる準備的状況が形成されていたところ、死亡当日には、前記のような悪環境の中で突発的に公務に準ずるタクシー助勢行為をせざるを得なかったため、高齢でかつ陳旧性心筋梗塞によって機能の低下していた心臓に極度の負荷を受け、重症心室性不整脈を発生して死亡したものであって、本件死亡と公務との間には相当因果関係が存在すると認められる。
控訴人は、タクシー助勢行為は通常のごみ収集作業に比べて過重ではなく、タクシー助勢行為は公務又は公務に準じる行為であるとはいえないから、本件死亡と公務との間には相当因果関係が存在しない旨主張する。確かに、タクシー助勢行為が通常のごみ収集作業に比べて特に過重であるとは認められないが、前記認定のような状況・条件の下においては、タクシー助勢行為が不整脈を発症させる原因となることは充分考えられるのであって、タクシー助勢行為がごみ収集作業に比べて過重な労働でないとの一事をもって、タクシー助勢行為と本件死亡との相当因果関係を否定することはできない。また、タクシーの脱輪現場は、清掃車の通り道であり、本件死亡当日の同時刻ころにおいても酒井らの清掃車を除いて五台の清掃車が通過予定であったこと、本件死亡当日は九五ミリメートルもの雨量があった大雨であり、視界が不良であって、そのため、タクシーが脱輪するなどの事態に至っていること、脱輪したタクシーの側方を通過して通行することは可能であるが、右タクシーと同一方向へ進行する場合にはセンターラインを越えて対向車線にはみ出さなければならない状況であったこと(<書証番号略>)、以上の事実を考慮すると、右タクシーを放置しておいては北清掃事業所の清掃業務の妨げとなる事態が生じないとも限らなかったというべきであり、酒井のタクシー助勢行為は北清掃事業所の清掃業務の遂行にとっても有意義なものであったと認められる。のみならず、市の公務員であり、ごみ収集車に乗務して日常的に市内を巡回している清掃業務従事職員が一般市民が突発的事故で難渋しているのに出会った際に、できるだけこれに助勢することは、清掃業務を円滑に進めるためにも必要なことであり、一般市民からも期待されているところであって、酒井のタクシー助勢行為は、これに沿った市の清掃業務従事職員としての極めて自然な行為であったと認められる。そうであるとすれば、酒井のタクシー助勢行為は、それ自体が公務であるとはいえないまでも、公務に準じる行為であると認めて差し支えないものというべきである。したがって、この点についての控訴人の主張は、採用できない。
以上の次第で、その余の点について判断するまでもなく、本件死亡と公務との間には相当因果関係が存するものであり、本件死亡は、公務上災害に該当する。
三よって、被控訴人の請求を認容した原判決は相当であり、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、民事訴訟法三八四条、九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官清水湛 裁判官瀬戸正義 裁判官小林正)
別紙<省略>